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小林修のコラムより「ローハイドとの出合い」

「別冊太陽 子どもの昭和史 昭和35年~48年」(平凡社/1990年刊)より


【小林 修 (こばやし・おさむ)】

声優(同人舎プロダクション代表取締役)。昭和9年(1934年)11月22日生まれ。東京都出身。吹き替え、CMナレーションの草分け的存在として知られる。主な代表作は『ローハイド(ギル・フェイバー役)』、『スパイ大作戦(ウイリー・アーミテージ役)』、『宇宙大作戦(チャーリー役)』、『ザ・バロン(バロン役)』、『特別狙撃隊SWAT(ホンドー隊長)』、『特攻野郎Aチーム(ストックウェル将軍)』、映画『荒野の七人』や『王様と私』などでのユル・ブリンナー役、アニメ『黄金バット(黄金バット役)』、『宇宙戦艦ヤマト(ドメル将軍、ズォーダー大帝、山南艦長)』など多数。平成23年(2011年)6月28日、膵臓癌により死去。76歳。

私が、外国テレビ映画の日本語版の吹き替え(アテレコ)に関わってから、およそ四半世紀。その間に膨大な数の仕事をしてきました。人気テレビシリーズのレギュラーだけでも、数十本にのぼりますが、どの作品にも思い出があり、忘れることはできません。

中でも私にとって、生涯忘れることのできない作品といえば、それはやはり『ローハイド』ではないでしょうか。この好運な出会いにより、役者として多くの可能性を生み出し、色々な仕事へと発展してゆき、今の私があるといってもいいのではないでしょうか。

好運な出会いがあるかないかで、私たちの運命は変わります。人気シリーズに縁がないばかりに、実力がありながら恵まれずにいる人が、私のまわりには大勢います。
しかし、人間何が幸いするかわかりません。私が『ローハイド』のフェイバー隊長をやらせていただくことになったのも、ちょっとしたキッカケがもとです。

ラジオドラマ全盛の頃、そのドラマで大変世話になった人(※注・滝山照夫ディレクター)が、事情で放送局を退社されてからは、なんとなく疎遠になっていたのです。私の情報不足もあり、音信不通の状態が続いたのです。
ところがヒョンなことから、その人がNET(現テレビ朝日)に居るという噂を聞き、早速、劇団のマネージャーを連れて挨拶を兼ねて遊びにゆきました。

その時に「いい時に来てくれた。テープにとるから読んでくれ」と言って渡されたのが、フェイバー隊長の冒頭のナレーションの原稿だったのです。
録音が終わったあとで、事情の呑みこめない私は聞きました。すると彼が、「現在、全米でも話題を集め、日本でも大ヒット間違いなしという、どえらい外国テレビシリーズを担当する主役が決まってないので、いろいろオーディションをやってる最中だ」。

それを聞いて私は仰天しました。
当時はテレビ開拓期で各局手さぐりの状態でしたから、確実に視聴率のとれる外国テレビシリーズに依存せざるをえない状況でした。
しかも、関係者の期待を集め、鳴り物入りでスタートする番組なので、大規模に候補を募り、時間をかけて慎重にオーディションを行なっているに違いない、そう思ったものですから、再度のトライを願い出ましたが、結局は聞き入れてもらえず、「これでいいよ。気負いがなくてかえっていいかもしれない」と言いながら私のテープを持って録音スタジオを出てゆきました。私に対する彼のさりげない思いやりに、頭が下がる思いでした。

結果的に、大勢の候補者の中から私が選ばれたわけですが、今思っても本当に好運の女神が微笑んでくれたのだと、感謝の気持ちで一杯です。
事実、当時の週刊誌には、50名近い俳優の中から、厳正なるオーディションの結果選ばれたラッキーボーイと書かれていたのです。

その頃、巷では、『君の名は』で女風呂が空き、『ローハイド』で男風呂が空くと言われましたが、『ローハイド』の放映時間には老若男女を問わず、風呂屋さんに限らず、盛り場までが閑散となったと言われたほど、日本中を熱狂させた番組でした。

私は今でもその『ローハイド』の主役、フェイバー隊長と巡り合えたことの幸を感じ、そして『ローハイド』で得た貴重な思い出を忘れることなく、大切にしてゆきたいと思っております。



20世紀FOXのHP「吹替の帝王」に小林修さんのインタビュー(音声ファイル)があります。
声優インタビュー:小林修(インタビュアーは漫画家のとり・みきさん、2010年収録)
【内容】
・パート1 芝居を志したきっかけ ~ 吹替え黎明期(約17分)
・パート2 『ローハイド』と山田康雄の思い出(約24分)
・パート3 ユル・ブリンナー ~ 『荒野の七人』(約25分)
・パート4 『宇宙戦艦ヤマト』裏話(約9分)

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